航海

想い出が、このごろ、よく蘇る。


あの時に戻りたいとか、じゃなく、ただ、蘇ってくる。


反芻して、咀嚼するように、ではなく、素晴らしい映画を観た時のように、蘇る。


変化している証拠、な気がする。
勝手な憶測だけれど。


人は、選択を繰り返して生きてる。


選択に、大きいも小さいもなく。
目覚ましが鳴って、すぐ起きる、しばらく経って起きる、もう三十分眠ってしまうか。
結婚を申し込まれて、受けるか、断るか。
携帯が鳴って、電話を受けるか、切れるのを待つか。
昼ごはんなにを食べるか。
仕事の進行で、面倒だけれどやった方がいいと思うことを、するか、しないか。
選択をあげたら、エンドレス。


その、ひとつひとつが、その人の人生を創ってゆく。
その、ひとつひとつに、その人が、表れる。


こうしたら、こうなるだろう、などという、悠長な想像は、
選択する際には、入り込む隙間がない。


うまく言えないけれど、結果を加減するために、選択肢を選ぶ、なんて、無意味だ。
もし妄想するならば、その、もっと先を読むべきだ、と思う。


ひとつの選択に対する、ひとつの結果などに惑わされず、
ひとつ選択をすることで波立つ、海の、その先になにが待ってるか、
それを想って選択肢を選ぶのならば、意味はあると思う。


あのときこうしてたら、こうなったろうな、と想うことは多々ある。
けど、後悔をしたことは、ない。
なぜなら、選んだのはあたしだから。


今のあたしだったら、どうするだろう、と考えることもある。
けど、今のあたしと、あの時のあたしは、違ってて。
わからぬまま選択したことで、ナニカをなくし、ナニカを得た。
そして、それが、今のあたしを創ってる。


極端にいってしまえば、
後悔などしたら、今のあたしを、否定することになりはしないだろうか。


それが怖くて、後悔しない、のじゃないけれど。


決して立派な人生とは言えないけれど、
あたしは自分の人生を愛おしく想い、あたし自身を愛してる。


こう言い切れるまで、ずいぶんかかった。


今では、自分との対話を、ニュートラルにできるようになった。
昔は、怖くてできなかった。
自分を肯定することも、否定することも、崩壊に繋がるような気がしてたから。


小さな頃から、自分が納得できないと、ぜったいに首をタテに振らぬ子だった。


中学にあがった頃から、
人が生きる目的はなんなのか、あたしはどうしてココにいるのか、知りたいと思って、
哲学書を読みはじめた。


精神世界、と呼ばれるジャンルの本もずいぶん読み、
無宗教だけれど、さまざまな宗教の教典も読んだ。
語り継がれる名画や、重版を重ねる世界の名著も、読みあさった。
答えを、見つけたくて。


そして、わかったんだ。
答えは、最初っから、あたしのなかにあったことを。


人は、愛するために、生きてる。


出会うすべてを受け入れ、流れに逆らうことなく、意志を持って波に添い、
すべてを愛し、すべてを許し、すべて自分にもそれをしてゆく。


時の流れにあらがうことなく、時を友人にして、愛し続ける。
それが、生きる目的じゃないか、と、あたしは思う。