富士山

初冠雪が富士山で観測された翌週あたりに、
あたしは幸運にも、富士を真近で望める山中湖に居ました。
霧深いその日は、もうもうと沸き上がる霧の隙間から、真っ黒の富士が時折姿を現し、
寒々とした明け方の風に、富士さえ震えてるように思えたもの。


霧に煙る山中湖で、綿帽子のような霧のむこうに聳える富士を垣間見る、その前。
富士五合目からの素晴らしい夜景と、のぼる朝日を見てました。
いきなり見たくなり、夜中過ぎに思い立って出掛けたのでした。


夜半過ぎから霧深い日だったので、朝日の凝視は叶わなかったけど、
夜景が、見事だった。


都市のそれとはまったくムードが異なるのだ。
なだらかな富士の裾野に広がる夜景が、富士の自然とグラデのように重なり、
人の暮らしの正しいあり方とはこうだ、と妄想してしまった、見事な情景だった。


湖畔で、そんなことを反芻しつつ、寄せて返す湖の波打ち際に佇んでた。


霧で、視界がクリアでないことが、とても重要だった。
暗中模索[あんちゅうもさく]という言葉があります。


 暗闇の中で何かを探すような感じで、手がかりが分からないままに「手探り」状態で
 なんとかして問題を解決しようといろいろ行動してみること。また、その様。


霧のなかで見えてくるもの、霧のなかで感じること、霧のなかでしか得られない経験。
きっと、それが、大事なナニカを運んでくれます。


苦しい霧のなかでは、「できることしかやれてない」と自己批判を繰り返しがちだけど、
その勇気ある意思は、自分もまわりの人も幸せにしていたことが、時流れてわかります。


霧晴れて臨む、美しい風景は、霧の中で懸命に歩いた人にしか得られない、
それはそれは素晴らしい極上のものだ、と、あたしは思うのです。