Gracias

海に行って。


ズボンの裾を捲し上げて、砂浜を歩いたり、
岩場をがんがん歩き続けて、元気に泳ぐ小さな魚を眺めたり、
足下にいる小さな貝を手にとって、引っ込めた体をちょっと見て波に戻したり。


そんなことしながら、海を抱きしめて。


森に入って。


樹々の匂い、土の匂い、注ぐ陽と葉をかすめる風の匂い、そこに心も体も浸す時間。
山頂近くから見た山々の稜線の美しさ。
神々が樹に宿ることを、森に入ると、魂で実感できる。


そんな想いのまま、森に包まれて。


生きている。
それは、命を贈られたから、かもしれない、と、今年の夏、ふと想えた。


そして、海や森が、そのままで、
人の手がどう残酷に入ろうとも、そのまま神々しく美しく生きていることは、
強い、という言葉だけでは語り尽くせず。


たぶん、言葉にするなら、崇高な魂が宿っているから、だと思う。


あたしたち、人、という生き物も、
海や森のように、とまではいかずとも、海や森に暮らす、人以外の生き物のように、
ナニカを壊してまで自分のテリトリーを広げるとか思わず。


ただ、そのままで、自然の恵みを、必要な分だけ、必要なときだけ、得ながら、
まわりの様々な生き物や環境と、ほんとは見事に共生していけると思うのだ。


言葉でいくら書き連ねても、語れないな。


テレビや雑誌で勧められてる場所なんかじゃなく、
いや、もちろん、素晴らしい場所もたくさんメディアに載ってはいるけれど、
キャッチコピーなどで飾られてない場所が、
生き物としての崇高な想いを呼び起こさせてくれる、と、あたしは想う。


暑いし、汗かくし、虫に食われて足腫れちゃうけれど、
生き物として、自然に迎えてもらえたように思えたり、もする。


無言で教えられる、生き物としての尊厳と崇高な想い。
でき得る限り、そんな恩恵を受けた自然を裏切らないでいたい、と思う。


ロハス!と大声で叫ぶつもりもないし、
自然のなかで生きることこそ人の本懐!とか先導するつもりも、もちろんなく。


どんな生き方をしてても、どんな仕事をしていても、どこに暮らしていても、
素晴らしい恩恵を惜しみなく与えてくれる自然に対して、
感謝をこめて過ごしていたら、ちょっとずつナニカが変わっていくはず、と思うのです。


大自然に感謝。
Gracias!