奈良の時

事務所で仕事中、つい、奈良の風景をテレビで見てしまった。
見てはいけないのだ。
なぜなら、無性に行きたくなってしまって、仕事など、どうでもよくなってしまうから。
危険なのだ。


時折書いてしまうけど、数年まえ、十月、あたしはひと月丸々休暇をとって、
どっぷりと奈良を満喫した。
どれほど素晴らしかったか、言葉にはできぬほど。
至福の時だった。


興福寺の北円堂で会えた無箸[むちゃく]さまが、絶品だった。
長期の奈良休暇は、無箸さまに会うためのものだったから。
開き戸の敷居に座り込んで、二時間ほど、惚れ惚れと眺めてしまった。


斑鳩も素晴らしかった。
法隆寺も、中宮寺も、そして、なにより、斑鳩全体が、奈良だった。
入江泰吉が撮った頃の奈良とは遠くかけ離れてしまってはいるけれど、
住まう人が、奈良という街を愛しているのが、空気で伝わってくる、
それがなにより素敵だ。


入江泰吉、とは、奈良の街、奈良の建物、奈良の仏像を、
余すところなく、しかも美しく撮り続け、遺してくれた、いわば偉人、写真家。


彼の作品が展示されている彼の美術館にも足を運べた。
清水の舞台から飛び降りるほどの、希少な写真集を、四冊も買ってしまった。
値段じゃなく、買わなければならないものは、あるのだ。
あたしにとっての宝物、それが目の前にあるのに、置いて帰るなんて、できなかったから。


斑鳩に行った日が、満月だったのを、よく憶えてる。
想い返せば、十三夜。
満月と十三夜が重なった数少ない年だった。
その年の十五夜は、たしか草津で。
湯に浸かりながら仰ぎ見た。


今年の十五夜は9月22日、近い満月は9月23日。
今年の十三夜は10月20日、近い満月は10月23日だそう。
もうすぐだ。


十五夜、十三夜を想うと、その季節を迎える頃になると、
どうしても、斑鳩で見たあの月が浮かぶ。
そして、無性に、奈良に行きたくなる。
行く、というよりも、過ごしたくなる。


素晴らしく命を持ち続ける仏像に相対すると、自分が見えてくる。
どうしたらいいのか、すぐに無言で教えてもらえる。
あたしには、そんなふうに想える。


あたしは宗教を持ってないけど、
仏像にしても素晴らしい建物、景色にしても、自然にしても、ホンモノの美しさには、
無条件で降伏する、頭を垂れたくなる、教えを請いたくなる。


奈良は、身を置くだけでそんな気持ちにさせる、魔法のような場所。
日本が冷凍保存されたような、と、司馬遼太郎は書いてたけど、
あたしは、日本が、呼吸して生き続けてる場所だ、と思う。


住む人々の、奈良を愛する気持ちが、奈良に住まう神様を生かし続けてるような気がする。


遷都のお祭り騒ぎが終わったら、しんみりゆっくり、奈良で過ごすぞ。
少なくとも一週間、できればひと月。
湯治場に居を構えて、貧乏旅でもなんでも構わない、奈良で、時を過ごしたい。
お金も、時間も、強引にでもなんとかさせる。
意気込みを書いてしまった。


奈良で過ごしたい。。。