架橋

 どんな人になりたい?


と聞かれると、大抵の人は、職業を挙げる。
看護婦さん、とか、専業主婦、とか、デザイナー、とか、色々。
けど、あたしは、いつもこう答える。


 強く、優しく、美しい人になりたい。


職業は、あたしは、どうでもいいと思ってる。
二十歳くらいから。
それまでは、なんの意味も無く、世間でもてはやされる職業に興味があったけど。


同じ意味で。
いや、異論を唱える人は多かろうけど、あたしにとっては、旨く言えないけど同じ意味で。


生きてるあたし達が見てる、感じてる世界と、
逝ってしまった人たちが見てる、感じてる世界は、とてもたくさんのリンクがあると思う。
ほんの数%以外、ぜんぶ繋がってる気がする。


音楽も、映画も、エンタテイメントも、仏像、建築、街、工芸作品、家具、写真、more...
あたしの好きな作品を創り上げた人は、ほとんどもう逝ってしまった人。
だけど、それらの素晴らしい作品は、今も息づいてて、
失意の淵に立つ多くの人の心を癒し、救い、元気づけ、感動を与えてくれる。


大切な人も、そう。
逝ってしまった、大切な人に、話しかける。
暖かな手に触れることはできぬとも、言葉が返ってくる。
想いも、返ってくる。


居ない、ということを実感したくなくて、
怖くて話しかけることができないでいた、逝ってからの数年。
勇気を出せるほどの落ち着きが戻ってきて、話しかけてみたら、すぐに言葉が降りて来た。


話が長くなりそうな時は、夢で、話が続いた。
どこかに居てくれる、と実感できる。
証明などできないし、絶対、なんて言えないけど、確かに、居てくれるのだ。
不思議だけど、どこかに。
どこにでも。


生きている、ということは、いつか、生きてることが終わる、ってコト。
花もそう。
電化製品にだって、車だって、寿命がある。


この世で一番寿命が長いのは、たぶん文化や慣習。


その次が、建築や彫刻作品だろう。


あたしは鎌倉時代の仏像をこよなく愛してるのだけど、
もちろん運慶はもうこの世に居なくて、
だけど、彼が彫り上げた仏像や彫刻作品は、奈良の地に残ってる。


自殺をしてこの世を去った素晴らしい人や、
残虐な人殺しをして、果てに自殺によってこの世を去った素晴らしい人、
自暴自棄な行為でこの世を去った素晴らしい人、more...


最期のそのとき、行なった行為は許されないことだけど、
あたしは、その人が歩んだ道を、愛し続けたいって思う。


戦争。
これが人殺しや自殺、自暴自棄な行為の、最高峰だと思う。
狂った世界。
意識が遠のいた世界。


人の脳は、人の体を守るために働くと聞いた。
だけど、あたしは異論を唱える。
体を守るまえに、思考を、まず守るのではないか、って。


考えてることを実現化するために、まず脳が働くんじゃないか、って思う。


あたしは心理学者でも臨床医師でもなんでも無いけど、
自殺したの、って電話を、今まで生きてきた中で、四つもらってる。
ひとつ以外、命を救えた。


彼らの想いや行為は、あたしには理解できない。
だけど、彼らが制御不能じゃない時のことを、あたしは彼らに話してあげられる。
そうすることで、彼らに、自分がこういう人なのだ、と思い出す手助けをしてあげられる。
それしかできないけれど。
たぶん、それが、最も彼らを救う方法なのだとあたしは信じてる。


三人は、戸惑いながら、時に絶望しながら、だけど、頑張って今も生きてる。


夢なんて、持ってなくたって、いい。
あたしも夢なんて持ってない。
ただ、強く優しく美しい人になりたいなと思ってるだけ。


生きてるのなら、充分に生き尽くそうじゃないか。


現世とリンクしてる来世に逝ってしまったなら、
生き尽くした現世の自分を思い返して、落ち込むもよし、ブラボー!って叫ぶもよし、
まだ先のことじゃんか。
万が一、明日不幸にも事故に遭ってしまったとしても、まだ先のことじゃんか。


なにが書きたかったのか忘れちゃった。


ぜんぶ繋がってる、ってコト。
なにもかも、あきらめちゃだめ、ってコト。
そんなこと感じてたのかも。