十三夜過ぎ

うっかりしてたけど、10月27日(土)が十三夜だった。
十五夜を堪能してたのに、十三夜、意識せずに過ぎてた。


手帳を開いたら「月と呑む。」って書いてあって。
なんだか嬉しくなった。
片観月じゃなくて、よかった。





母のこと、亡き父のこと、極最近、ようやく、
ひとりの人間として感じられるようになってきた。


無条件で愛するのが当然だ、
と、無意識に制限を付けてたことにも気付けた。


人として観られるようになって、
あまりないことだけど、自分の変化を深く実感した。





あたしは、人は、ひとりで生まれ、ひとりで死ぬ、と思ってる。
事実、とも思う。


例えば、心中しても、
やっぱり、ひとりで死ぬ、気がする。


あたしの祖父も、父も、大切な友人たちも、
奇しくも、みな、ひとりの時に逝った。


その瞬間、なにを想ったのか。
いくつもの時を、時代を経て、たぶん、いつか、あたしにもわかる気がする。





あたしの、今の指針。
リチャード・バック/イリュージョン(村上春樹 訳)より


 世界の遊戯に寄与する君たちの使命が
 終了したかどうかを判断する簡単な基準がある。


 もし君達が生きていれば
 瀕死の重傷でかすかに息がある場合でも生きていれば
 まだ使命は終わっていない。


 (in english)
 There is an easy standard which judges whether your mission
 which contributes to the play in the world was completed.


 If you are alive,
 if alive even when there is a breath faintly by a dying serious injury,  
 the mission has not been finished yet.


 (in spanish)
 Hay un padrón fácil que juzga si su misión que colabora en la jugada
 en el mundo entero fue terminada.


 Suponiendo que usted está vivo
 Si vivo incluso cuando hay una respiración débilmente junto a una lesión seria final,
 la misión no ha estado terminada aún.





ぜんぶ繋がってるから。
地下鉄とエレベーターは怖いけど、あたしは怖くない。