桜見

大きな桜の幹に背中をぴたっと付けて、満月を仰いだ。
たわわに咲き誇る桜の花越しに。


未来を覗ける窓みたいに、月はまばゆく輝いてて、
てっぺん近くに、くっきりと浮かんでた。


つ、っと涙があふれてきて、焦った。
不意打ちの涙は、心をぐらぐら揺らす。


けど、たぶん、きっと、あまりに美しくて、先に心が揺れたのだ。




部屋に戻ってから、
ショルダーのなかにちっちゃいデジカメを入れてたことに気がついた。


あの光景。
あたしのまぶたに焼きつけただけ、になってしまった。


また、だ。
想いがあまりにあふれて、見える景色と完結してしまうと、
それを残す、ということまで気がまわらなくなる。




満月は、月が満ちる、と書く。


明日からまた、月は少しずつ影が増え、
地球に住まうあたしたちからは欠けてゆくように見える。


海の波のように。
人の心のように。


ほんとは減ってるわけじゃないのに、欠けてゆくように見える。
そして、増えているわけじゃないのに、満ちてゆくように見える。


欠けるのは、消えてゆくわけではなくて。
花が散るのは、その花が枯れるわけではなくて。


時が来て、満ち、
季節を得て、花開く。


満月は、月のあるがままの姿そのままで見える、のかもしれない。
思えば、それは、素晴らしいこと。
月も、花も、人も、満ちたとき、あるがままの姿が現れるのかもしれない。


その、満月と満開の桜。
ダブルの満つる時を感じ、あたしは、嬉しくて泣けてしまったのかもしれない。