不惑


Martha Argerich and Charles Dutoit in 1972





なにもかもわかった、と思ってたある女の子が、
理解し難い出来事に出会って、戸惑った。


あたしが理解し得ない、ということは、あたしには必要のないことなのか。
それとも、学ぶべきことなのか。


触れたくもなく、わかりたいとも思えない出来事。


それでも、その女の子は、勇気を振り絞って、
その理解し難い出来事に正面から向き合った。


何年もの月日が過ぎて、女の子はその出来事を、未だに理解できないでいた。


視点をひとつ所に渋ることに飽きた女の子は、
とてもシンプルで、重要な結論を出した。


理解できないことなのだ、と。


世の中には、わからない、が答えの場合もある。
理解できないこと、が、まさしく答えの場合も、あるのだ。


思い、考え巡らせた何年もの期間。
理解したいと願った出来事のほかに、理解できたことがたくさんあった。
それは学びとなり、女の子の心に染込んだ。


わからなかった、ではなく、
わからない、が答え。


そう自分で選択して次に進むのだ。
すべての責任を自分で背負って。


それが生きること、なのかな、と女の子は想いついたけど、
やっぱりそれもきちんとわかったわけじゃなかった。
ちょっと視点を合わせてみようかなと思って。


時間と手を繋ぎはじめた。