蕎麦

東京には老舗の蕎麦屋が思うよりずっと残ってる。
あたしはあまり固有名詞をココに書かないけれど、
東京に来たら、居るなら、このみっつの蕎麦屋には伺った方がいい。


ひとつめは、浅草の並木通りにある、並木藪。
東京一の、本物の繁華街である雷門近くに位置しながら、
老朽化による建て替えの際、寸分たがわぬ二階建ての木造家屋にし、
店内を、元の内装そのままにしつらえた。
並木藪を愛してくださるお客様が今まで通りの風景で蕎麦を味わえるように、
との心遣い。
言うまでもないけど、蕎麦は至極旨い。
たまらなく、旨い。


ふたつめは、神田須田町にある、神田まつや。
第二次世界大戦の東京空襲の際、幸運にも焼けずに残った古い日本家屋で、
半分以上の席が長机で、店を訪れる半分以上の客が相席になる老舗。
店内は居心地のよい和空間で、つねに心地良い客のざわめきにあふれてる。
談笑の声、蕎麦を啜る音、お銚子を机に置く音、花番さんの柔らかな声。
蕎麦には特に特徴がない。
客観的に判断するならば。
だけど、代え難い歴史と、美しい店の設え、店を愛する客のオーラが、
完璧に蕎麦の味を至高にまで押し上げる。


みっつめは、虎ノ門官庁街近くにある、虎ノ門大坂屋砂場。
ひとつめに書いた並木藪と同じように、外も中も同じに建て替えした、
心根も味も背筋のピンと張った老舗蕎麦屋
蕎麦本来の味を確かめられる、盛りも勿論素晴らしく旨いのだけれど、
おろしや天麩羅、なめこ、納豆、おかずの入った蕎麦も、
目の覚めるほどの粋なしつらえで、しかも旨い。
そして、みっつともに共通していることだけれど、
味、店、花番さん、そのどれもが変わらないのだ。


変わらない場所を持つ、というのは、なんと贅沢なことかと思う。


時代を経ても変わらずに居てくれる、というのは、
前述のように、時代に逆らって都心のど真ん中での改築に二階建てを選んだり、
営利や効率を重んじずに、店を訪れてくれるお客第一に精進を重ねる、
そんな努力と言う名の変化を見えないところで尽力されてる証拠でもある。


素晴らしい絵画や建築、仏像、もっと多くの作品を観るのと同じように、
素晴らしい店を、場所を訪れることは、生きる喜びを教えてくれる。
自分以外の誰かに、なにかを提供することで商売を営む場合、
作家も含まれる行為だと思うけれど、
その場合、なにが一番大切なことなのか、言葉じゃなく、魂でわかる。