捜索
The Animals / The House of the Rising Sun
朝日のあたる家。
小学生のとき、この曲をオルガンで弾いた。
亡き師は「“生きることを目標に日々を過ごしてた人達”を歌ってるのよ」と教えてくれた。
今は、その意味が、あの時よりもちょっとはわかるようになった。
名曲。
*
午前三時頃、仕事から帰宅して、ハードコンタクトをはずしてたら、
あろうことか、落としてしまった。
片目は外し終えてケースに入れて、ふたつめが、落ちちゃった。
いつもそういう危険はあるのだけれど、十年ぶりっくらいだ、こーゆーの。
カラカラッ、と落ちる音がしたから、どこか固いモノにぶつかって落ちた、のはわかった。
足もとや手、足に着いてないのを確かめて、洗面所を出て眼鏡をつけ、
強力なライトを持って再び洗面所へ行った。
隈無くライトを向けて、目をほんとに皿のようにして捜した。
一度め。
肩ががっくり落ちたけど、二度目、気を取り直してまた隈無く。
でも、無い。
疲れているし、朝になればまた仕事、なので、
どっかで、どうするのか決めなくちゃいけない。
で、右目は無い、ということにした。
朝イチ、近所の眼科に行って、泣き落としでもなんでもいいから、
検査してもらって即日コンタクトを手に入れさせてもらうのだ!と決めた。
予期せぬ出費と、自分の不注意さにがっくりきて、しばし呆然。
けど、後悔しつつコンタクト買いたくない、と思い、今一度捜した。
したっけ、あった。
ケースの陰に、あった。
思わずあたし手を合わせて、ありがとう、と言ってた。
なにに言ったのかわからないけど、感謝した、見付けられたことに。
*
今まで当たり前に目の上にあったコンタクトが、外した途端に無くなって、
焦って、捜して、でも無くて、捜して捜して、あった。
それも、ひとつめのコンタクトを入れたケースの陰に。
捜してるモノって、そんなトコロにあるのかもしれないな、って思った。
案外、自分のなかとか、すごい近くで、落としたり見付けたりを繰り返して、
自分のなかにある感情が、呼び起こされてるのかもしれないな、って思った。
「答は自分のなかにある」って、わかってたつもりだったけど、
その真意は、もっともっとシンプルで、
生まれた時からわかってるほど、
ずうっとまえから、自分のなかにあるのかもしれない、と、ちょっと確信した。