捜索




The Animals / The House of the Rising Sun


朝日のあたる家。
小学生のとき、この曲をオルガンで弾いた。
亡き師は「“生きることを目標に日々を過ごしてた人達”を歌ってるのよ」と教えてくれた。
今は、その意味が、あの時よりもちょっとはわかるようになった。
名曲。





午前三時頃、仕事から帰宅して、ハードコンタクトをはずしてたら、
あろうことか、落としてしまった。
片目は外し終えてケースに入れて、ふたつめが、落ちちゃった。


いつもそういう危険はあるのだけれど、十年ぶりっくらいだ、こーゆーの。


カラカラッ、と落ちる音がしたから、どこか固いモノにぶつかって落ちた、のはわかった。
足もとや手、足に着いてないのを確かめて、洗面所を出て眼鏡をつけ、
強力なライトを持って再び洗面所へ行った。


隈無くライトを向けて、目をほんとに皿のようにして捜した。
一度め。


肩ががっくり落ちたけど、二度目、気を取り直してまた隈無く。
でも、無い。


疲れているし、朝になればまた仕事、なので、
どっかで、どうするのか決めなくちゃいけない。


で、右目は無い、ということにした。
朝イチ、近所の眼科に行って、泣き落としでもなんでもいいから、
検査してもらって即日コンタクトを手に入れさせてもらうのだ!と決めた。


予期せぬ出費と、自分の不注意さにがっくりきて、しばし呆然。


けど、後悔しつつコンタクト買いたくない、と思い、今一度捜した。


したっけ、あった。
ケースの陰に、あった。


思わずあたし手を合わせて、ありがとう、と言ってた。
なにに言ったのかわからないけど、感謝した、見付けられたことに。





今まで当たり前に目の上にあったコンタクトが、外した途端に無くなって、
焦って、捜して、でも無くて、捜して捜して、あった。
それも、ひとつめのコンタクトを入れたケースの陰に。


捜してるモノって、そんなトコロにあるのかもしれないな、って思った。


案外、自分のなかとか、すごい近くで、落としたり見付けたりを繰り返して、
自分のなかにある感情が、呼び起こされてるのかもしれないな、って思った。


「答は自分のなかにある」って、わかってたつもりだったけど、
その真意は、もっともっとシンプルで、
生まれた時からわかってるほど、
ずうっとまえから、自分のなかにあるのかもしれない、と、ちょっと確信した。