TIME AFTER TIME




十三夜も過ぎ。
今宵は、ほんのちょっぴりだけ欠けた、美しい満月が空を照らしてる。


何千万億もの銀河がひしめく宇宙のなか、
あたし達が生きる地球という惑星は、たったひとつの銀河のなかの、
そのまた何千万億分の一にあたる、太陽という恒星のまわりを回る、
ほんとにほんとに小さな星に過ぎない。


その宇宙と名付けられた無限の空間のなかの、
ちぃっちゃな地球をくるくる回る、月という星。


影が無くなりまんまるに見える、ほぼ月に一度の日、満月。


宇宙からしたら、いや、ひとつの銀河からしてみても、塵より小さな星。
そこに生きるあたしたち人間を含むイキモノたち、そして、文化、書物、絵画、彫刻、
焼き付けられる想い出、風景、そして、自然。


天文学者は、宇宙の探訪は、永遠の片思い、だと言う。
夏目漱石は、宇宙よりも、人の頭のなかの方が、ずっと大きい、と言ってた。


人と同じような知的生命体が宇宙に居るか否か。
必ず居ると思う。
何千万億×何千万億。
居ないはずがない。


宇宙の年齢は137億光年らしい。
2011年の時点でわかっている限り。
今地球に届いてる一番古い光は、135億光年のもの。
そこまではわかってるらしい。


人は、ほんとに小さい。
あまりにも小さくて、笑ってしまう。


漱石が感じたように、
人はあまりにも小さいけれど、頭、というか、心は、宇宙と同じく無限なのだ、
とあたしは想う。


TIME AFTER TIME
なんどもなんども、想い重ねる。
生きていること自体、奇跡だ、と。


宇宙という具体的な無限があって、
たぶん、それよりも、無限の「無限」が、きっとあって…。
そんな想い巡らすことのできる幸福を得られてる。


深淵に佇めば、いつか無限の意味が、わかるかもしれない。
限界なんて、ない、ってことも。