朝月夜




綿菓子を散りばめたような嵐翌日の朝。
眠れずに空を見上げたら、三日月が雲間を漂ってた。


午前五時半ごろの朝月。
いいことが起こりそうな気がした。


昨夜はとんでもない進行に脳味噌が煮え過ぎて蒸発しそうになり、
こんな業界やめてやる、と二度ほど心に決めながら、ひたすら仕事してた。


ようやく入稿をすませて午前三時ぐらいに帰宅して、
ずっと眠れずに夜が明けて。


そんな、なのに、この写真よりずっとずっと綿菓子が細切れに広がった
月も浮かんでる美しい空見たら、
す、っと、どんな気分だったのか朧げになった。


暴風域に入ってた昨日の午後、
被災した宮城の友達から、だいじょうぶかい?とメイルが入った。


あんな大変な目にあって、ひき続きむっちゃ苦労してるのに、
仕事場で仕事しながら丈夫な窓越しに嵐を眺めてるあたしに、
だいじょうぶ?なんて、もう、なんだか、ものすごく申し訳ない気がした。


きちんとお礼の返事をして、再び怒濤の仕事を続けたわけだけど。
心と、頭が、まったく別の場所にあるような気分だった。


しかしっ。
朝月夜。
法師蝉と鳩の声、烏の声、公園を掃除されてる方々の話し声や笑い声。


雨降りのなかグラウンドでドッチボールしたみたいに、
ぐっちゃぐちゃになった土を、乾かして、綺麗にならしたみたいに。


心すっきりと、頭にドッキングしてもらえた気がした。


もう三十分もしたらラヂオ体操がはじまってしまう。
帰り道にアパートの脇を通る、いつもの一団の、他愛もない会話を聞いたら、
また嬉しくなって眠れなくなる。


生まれる前からあるモノコトが、あたしはとても好きである。
その最たるものが、自然だ。
空、雲、月、水、海、雨、川、大地、もっともっと。


そのなかで、あたしたちは生きてる。
生かされてる気がする。