神田須田町
神田須田町とは、秋葉原と神田と御茶ノ水に囲まれた、三角形のような形のエリア。
住宅が密集していた下町にも関わらず、東京大空襲で奇跡的に焼け残った場所です。
その三角エリアには、蕎麦屋や鰻、甘味処、牡丹鍋の老舗なんかが軒を散らばらせてる。
そんなかでも一等好きなのが、この、写真の「神田まつや」。
風情も味も絶品の、江戸前の蕎麦屋だ。
平日の午後三時あたりに入っても、たいてい満席で、
ほとんどの客は、お銚子片手に蕎麦をすすってる。
四人席、六人席の机をみっちり並べてて、次から次へと、来た客を相席に据えてく。
年頃の、いいムードのカップルだって、お構いなし。
こちらいいですか?
とか、来た客に気を配ったセリフを言いつつ、
お運びの女性たちは、次のオーダーを待つ客の方に、視線を向かわせてる。
こんなことされたら、たいていは頭にくるのだけれど、この店は、なんとも思えない。
初めての客でも、苦笑して、
いいですよ〜、
と素直に相席に着く雰囲気なのだ。
テレビで見れる、江戸時代の長屋のおかみさん。
この店のお運びさん達は、みんな、そんな感じ。
お母さんな人も、ばあちゃんくらいの人も、大学生のバイトな感じの子もいるけど、
なぜか、この店のなかだと、みんな、おかみさんになる。
実は、この神田まつやの裏に、もひとつ老舗の蕎麦屋がある、神田薮[かんだやぶ]。
こっちも美味しいけれど、なにやら格式みたいな空気が邪魔して、
どうにも、須田町に来ると、やっぱりまつやに向かってしまう。
この日もやっぱり相席で、まえに座るご夫婦も、あたしと同じ、もりとお銚子。
つまみの鳥わさをわけてつまみながら、
神田薮と神田まつや、どっちが好み?なんて話に花が咲いた。
これから薮にハシゴするんですけど、ご一緒にどうです?
と、有難いお誘いを受けた。
けど、なかなかこうゆっくり散歩できる日も少ない。
行きたいのは山々なんですが、これから御茶ノ水の方にちょっと。
と断った。
神田明神さんと、門前の天野屋に、せっかくここまで来たら行きたくて。
ちょっとばかし距離があるけれど、ふらふら歩けば、すぐ御茶ノ水。
お銚子一本の酔いを散歩で誤摩化し、御茶ノ水のロシア正教会でちょっとだけ仕事。
ロケハンもどきで、すぐばらして、さて、目的の神田明神さんへ。
そして、門前の、天野屋。
ここも老舗の甘酒屋。
あんみつもイケルのだけど、やっぱり甘酒。
初めて来たときと寸分違わぬ店構え。
これは、神田まつやも同じ。
変わらない場所も、東京にはまだまだあるのだ。
それが文化だと、もちょっと多めに知られてもいいと思うのだけど。
なにもかも変わらないのがいいのじゃなくて。
変わらないモノコトや場所には、そうなるだけの理由と想いがあるのだ。
それが文化を創ってく。
後世、文化と呼ばれるものは、ほぼそうやって出来上がってゆくのじゃないかと思う。
壊すのはいつだってできる。
その、壊すモノコトを、壊す人達はも一度創りあげることができるのか?
二度ともとに戻せないモノコトを、簡単に壊すことは、もうやめてほしい。
森や平原、川、海、そんな自然も、そう。
元に戻せないのに、ただ、今だけのくだらない理由で壊すなんて、なんの意味がある?
そこに住む人達、住処にしてた動物や、生態系のことまで、
すべて考えた結果の仕業なのか?ほんとに。
街中やそこかしこに残る変わらずに存在するモノコトや場所。
壊して、やっぱり欲しい、と思って、元に戻せるのか?
戦後の復興のなかで、当時の日本人は、新しいモノをしゃにむに採り入れて、
先進国に追いつけ追い越せ、と、数年で焼け野原から国を育て、盛り上げた。
日本には、もう、壊さなければならないモノコトや場所は、ないのじゃないか。
戦争を経てもなお残り、守り、今なお息吹きたくましく人を癒すモノコトを、
今度は、もっと大きく、残し守ってゆくべきじゃないだろうか。
しゃにむに進む時代は、もう終わってる気がする。
腰を据えて、まわりにたくさん散りばめられてる魅力に、
目を、耳を、心を傾ける時代じゃないだろうか、と思えてならない。
壊すべきモノコトがあるとしたら、人を騙すことになんの疑問も抱かない人の心。
わかりきってることだから具体的に書くのもバカバカしいけど、
肩書きだけにしがみついて、汚い笑いを浮かべてる人達の心。
その道を志した頃の、自分の心を、どうか、思い出してほしい、ただそれだけだ。
お金は、暮らしてゆくためのモノを手に入れるためのツール。
共通のツール、ただそれだけだ。
そんな時代に、戻ってもいいのじゃないか、もう。
いや、もとい。
いい散歩だった。
街歩きも、なかなか、悪くない。