年輪

事務所の大家さんは、隣りに住んでいて、ことあるごとに差し入れをしてくれる。
会社が苦しいときに家賃の値下げを申し出ても、二つ返事で快く受け入れてくれて。
足を向けて寝られない。


差し入れをしてくれるのは奥様で、ほぼ母と同じ年代。
あたしは、お母さん、と呼んでいる。
自分の母親には、いまだにママと言ってるくせに。


事務所からちょっと歩くけどおいしい弁当屋さんがある。
ご夫婦と息子さん、娘さんの四人、家族でやってらっしゃる古い美味しい弁当屋
その奥様も、ほぼ母と同じ年代で、あたしは、やっぱり、お母さん、と呼んでる。


煮付けが絶品で、次に行くと必ずお母さんに美味しかったと伝える。
そうすると、決まって、大量に作ると美味しくできるのよ、誰でも。
と言って、優しく笑う。


会社を作って十年を越えたから、
その二人のお母さんとも、もう十年以上の付き合いになる。


年輪を重ねた美しいしわが、会うたびに、美しくあたしを魅了する。


子供の頃から、なぜか、おばあちゃんくらいの女性に、妙な想いを寄せていた。
今も。


若い頃は、みんな肌がピンと張って、輝いてて、誰もがかわいい。
それは、もちろん若くても努力して磨いてる人もたくさん居るだろうけれど、
概して、みんなかわいい。


だけど、年を経てくると、生き方の姿勢が、オーラとなり、表情となり、
自分の制御できない部分で滲み出てくる。


性別に関係なく、いっぱしの大人、と世間で言われる頃、どんな顔をしてるか、
それが人の生き方を表す気がする。


前述したふたりのお母さんは、美しく年を重ねてきたことが、顔に表れてる。


毎日、鏡を覗いて、身支度をする時、自分の顔を、じっと眺める。
そんで、ちょっと笑顔を自分に見せてみる。
歪んでたら、よくない。


決して美形じゃないけれど、あたしは自分の顔が、恥ずかしいけれど、かわいいと思う。
そう思えない時期は、やっぱりあんましよくないのだ。


自分のこと、一番わからないけど、だけど、やっぱり一番良く知ってるのはあたし。
かわいい笑顔になれたなら、よっしゃ、と思う。
わくわくして、がんばろう、と思う。


真正面から、自分の想いに真摯に向き合うことを忘れたら、
それは、時間が輝かない気がする。


濃く、深く、輝きたいから。
余計なモノコトを排除した、スレンダーな生き方を、今日も目指していこうと思う。