半月

朝が明けるまえ、仕事帰りに、浮かぶ半月を仰いだ。
今宵の月も、ただ寡黙で、
仰いだあたしは独り合点に、月に頷いて、視線を戻した。


生きていると、知らずに、自分で自分を縛ってしまうことがある。
制約を受けてる、と思うそのことは、実は自分で制約してた、なんてこと。


なんですぐにわからないんだ、と昔はよく思ったけれど、
今では、気付くまでの葛藤の時間が、
気付きを越えるほど大切なコトを教えてくれると知ってる。


縛っていた縄をほどいたとき、えも言われぬ不安に襲われる。
制約、というのは、ある意味、壁だから。
囲ってくれてた壁だから。
それが無くなってしまった不安なんだろうと思う。


首輪も、足枷も、手足も、もう縛られてない状態で、どこへでも歩いてゆける。
それは怖くて、どうしたらいいのかわからなくて、足がもつれちゃったりする。


けど、そん時ほどチャンスなのだ。
どこへ行きたいか。
なにがしたかったのか。
なにを考えていたのか。
そして、一番大切なコト、今、なにを感じているか。
それを、まっさらに受け止められるから。


あたしは今、そんな状態にあるような気がする。


古い友が逝ってから、なん年かぶりの友と声を交わす機会があって、
きっとしばらくは増え続けるだろうと思う。


そんな時間を過ごしてて、ふと気付けた。
もうとっくの昔に、自分で縛ってしまった縄が、ほどけてたことを。


これから進む道がどこに続いていようと、歩きたくなってる。
まずは柔軟、準備体操をして、心と体を慣らさなくちゃ、などと思ったり。


他の人からすれば些細な縄でも、
あたしにとって長く縛られてた縄だと感じているならば、
やっぱりそれは、とても重要なことなのだ。


もう朝が明けてしまった。
ちょっとは眠らなければ。