日本橋




ひさしぶりに日本橋界隈を歩いた。
日本橋人形町で夕刻仕事を終え、日本橋堀留町日本橋小舟町を経て、日本橋室町へ。


どんな経緯かわからないけど、
神田駅・東京駅が繋ぐ中央線と隅田川に囲まれたエリアは、
みな町名の頭に日本橋が付けられてる。


町名が刷新されてしまうエリアが昨今多い東京で、
それをなんとかして防ぎたい、と地域が直談判したのじゃないだろうか、
と勝手に想像したりした。


それはともかく、日本橋界隈は、浅草や深川あたりの人懐っこい下町風情とは異なって、
着物の襟がしゃんと立ってるような、背筋の伸びた粋と、
このエリアが重ねてきた歴史に裏付けされたプライドの高さ、
そして、やっぱり江戸から続く古い街特有の包み込むような懐の深さを感じる。


歩いているだけで、肩の力がうまい具合に抜けてくような、実にいい塩梅なのだ。


正午あたりに人形町に着いて眺めた往来と、陽が暮れてからの往来は、違う顔になる。
陽の高いうちは、呉服屋や着物洗い専門の店、つづら屋、帯や、紐屋なんかの老舗、
関連の雑貨屋、甘味処が賑わう。
暮れてくると、江戸の食四天王の蕎麦・天麩羅・鮨・鰻に加え、おでん屋や獣鍋屋、
渋い定食屋、なんかの老舗に、仕事を終えた大人たちが、楽しげに吸い寄せられてゆく。


散策の終わり、事務所に戻るまえに、念願の室町砂場に寄った。
都内五本の指に入る蕎麦の名店だ。
案の定というか、思ってた以上に、至極旨かった。


かまぼことごま豆腐をアテに、ぬる燗を二合ほど。
新年の会合を催すテーブルもちらほらあり、店内は賑やか。
さらしなで天ざるを戴き、
あまりの旨さに、室町砂場では一番粉と呼ぶ二八も一枚追加で戴き、
満足を通り越しそうなほど満悦になった。


会計を済ませて外に出て、マフラーを整えつつしばし佇んでたら、
向かいのテーブルでなごやかに呑み、啜ってた紳士ふたりが、
引き戸を開けて、暖簾を分け出てきた。
銀髪の二人は、渋めのコートとこれまた渋めのマフラーを正しくき込み、
珈琲行こか、と言い合い、
慣れた足取りできっとこれまた行きつけの珈琲屋にさっと歩を進めた。


日本橋室町の電球色の灯りが美しい通りを、旧友であろう二人の紳士が歩く姿は、
実に風情があり、江戸の名残多いこの街に似合い過ぎるほどの哀愁を漂わせてた。
いい後ろ姿だった。


事務所に戻って原稿を仕上げたあとも、余韻覚めやらず。
東京が持つ魅力をひとつ見付けた気がした。


粋、というのは、江戸で生まれた江戸特有の、いわば文化のようだと思うのだけど、
それが息づく場所が今も確かにあるのだと、
日本橋界隈から、そして、そこに暮らす人、商う人、集う人に感じさせてもらえた。


自然体だけど、肩で風切るような、美しく年月を重ねた街と店と、人ぜんぶが相まって、
あふれるように、粋を感じた。
今の時代に欠けてるのは、もしかしたら“粋”かもしれない、なんて、思ったりした。