峠:その後

ちょっとまえに書いたお話の続き。





男は、見知らぬ男と、旅を続けてました。
なぜか、歩いている時は、いつも無言でした。
それぞれ、ひとりで旅していた時と同じように、
幾つもの山を越え、谷をまたぎ、峰にそって歩いたり、野原に出くわしたりしました。


灯りがともる家は、川縁に寝転んで談笑しているその視線の先に、いつもありました。
ふたりは、その家に、帰る、ために歩いているような気持ちになっていました。


 もし、あの家に辿り着くことができたら、どうしたい?


見知らぬ男は、男に、そう質問しました。


 そうだなぁ。
 あの灯りのなかに入ってみたい気がする。


 ってことは、家を訪問する、ってことかい?


 まぁ、決めてるわけじゃないけどさ。


 僕は、あの灯りのもとで暮らす人に、会いたい。


ふたりが休んだその夜から、数日が経ったある日。
いつものように話もせず、黙々と歩いていたふたりは、一軒家に辿り着きました。


夕暮れ時。
家は、遠くから見ていたよりもずっと明るく灯りがともされているように見えました。


ふたりはなぜか近くの茂みに隠れて、家のなかの様子をうかがうことに無言で同意して、
息をひそめて家を見守りました。


灯りがこぼれる家のなかには、父親と母親、ふたりの子供の姿が見えました。


茂みに隠れてる男と見知らぬ男は、無意識に顔を見合わせて、
お互い、見たこともない満面の笑顔を見せ合っていました。


隠れることをやめ、茂みから出たその時、家のなかから父親が出てきました。


 こんばんは、ひさしぶりの訪問者だ、嬉しいよ。
 君たちは、どっちから来たんだい?


どっち?
その言葉にふたりの男たちは釘付けになり、挨拶するのも忘れてしまいました。
はっと我に帰り、道中、この家を目指して歩いてきたことを、その父親に話し、
家族の姿を見て、とても嬉しくなったことを伝えました。


 そんなに長い旅をしてきたのか、ここですこし休んでいったらどうだい?


そのありがたい誘いの言葉を嬉しく思いながらも、
ふたりの男は、さっき父親が言った、どっちから?、という言葉が気になっていました。


 あの、さきほど、どっちから来たのか?と言われましたが、
 それはどういう意味なのでしょうか?


見知らぬ男の方が、勇気を出して、父親に聞いてみました。


 え?いや、山を越えてくるなんて人がいると思ってなかったからね、
 海の方から来たのか、街の方から来たのか、どっちかな?と思っただけだよ。


 海?街?


 すこしゆけば海なんだよ。
 それに、家の裏の野原の向こうには、街があるんだ。
 僕たち家族は、その街から移り住んだんだよ。


灯りのともる家のなかで、手料理を戴き、ひさしぶりのワインを味わいながら、
ふたりの男は、不思議な気持ちになっていました。


黙々と山々を上り下り、
それがなんの意味があるのかなんて考えずに歩いてきた今までの時間が、
終わってしまうことに、一抹の寂しさを感じていたのです。


と同時に、次の時間が始まったのだという不思議な期待も膨らませていました。


翌朝。
世話になったご主人とその家族に深くお礼を言って、ふたりの男は家を出ました。


 どうする?


見知らぬ男は、男に尋ねました。


 俺は、海を見たい。


男はそう答えて、歩き出していました。


 ちょっと待ってよ、ぼくにも、どうする?って聞いてくれよ。


歩き出していた男は、振り返って、すこし笑顔になって、こう言いました。


 どうすんだよ。


 あのさ、僕は、街にゆくよ。
 たくさんの人と会いたいんだ。
 一緒に山を登ったり下ったりしてた時、いろんなことを考えて、思って、したんだ。
 それをひとりでも多くの人と、想いを語り合いたい。


 そうか。
 それも、いいな。


 君は、やっぱり海に行くのかい?


 うん、俺は、海が見たい。


 …。


 おまえには感謝してるよ。
 おまえに会わなかったら、俺は、今も山深くの川の畔で暮らしてたかもしれない。
 ほんとに感謝してる。


 …。


 それが、今では、あの家まで辿り着いて、食事までごちそうになってさ、
 これから、想像もしてなかった海を目指そう、ってんだから、すごいよな。


 うん。


 おまえは人を幸せにするんだな。
 きっとどっかで、また、ばったり会うんじゃねぇかな、俺たち。


 会いたいな、僕も、また。


 どこで会うんだろうな。
 きっと、今はお互いに、想像もできねぇような場所で、会うんだろうな。
 元気でな。


 さよなら、いや、またね。
 ありがとう、楽しかったよ。


男は、ずうっと目指していた家のまえで、勇気をくれた見知らぬ男と別れ、
海に向けて、歩き出しました。
ふたりの男は、しばらくお互いが見えなくなるまで、振り返り、手を振り、
笑顔でそれぞれの出発を祝っているかのようでした。





想像をはるかに上回った未来は、
きっと、あきらめないで歩いた結果、与えられるのだと思います。
ただひたすらに、黙々と、どう言われようと、あきらめないで、歩き続けることで、
目指していたもの以上の、ナニカが、ふと与えられる気がします。


みんなのもとに、そんな素晴らしいナニカが舞い降りますように。