蜃気楼

路線バスで仕事場に向かってた時、運転手さんのすぐ後ろの高い席に座ってた。
昼間、アスファルトから蜃気楼はのぼらなかったけど、とても暑かった。


ぼぉーっと幹線道路の隣りを走る車を見てたら、ふいにもうろうとした。
ゆらゆらバスが走ってるのはわかってたけど、
夢なのか蜃気楼なのかわからないけど、現実とリンクする風景を見た。
見た、というか、見えてしまった。
目が閉じてたままで。


環七を走ってた時だった。
六車線の太い道路をバスが進んでた。





目を閉じて見えた風景は、黄色の大地の上だった。


乾いた赤土。
二車線ほどの幅の道路のような場所を、バスは進んでて、
時折、どすん、と石か岩につまずくようにバウンドしてた。
道の脇には、背の高さほどの緑が連なってて、砂漠の街、みたいな気がした。


夢か蜃気楼かわからぬその映像のなかで、あたしはきちんとバスに乗ってて、
向かう目的地を気持ちでは、目指してた。


けど、どこにこの道は続いてるんだろう、って、思ってた。


視線を先に飛ばしたら、真っ白の車が一台、こっちに向かって進んでた。
土ぼこりをあげながら。


乾いた赤土とこんもりした緑。
進むバスと、遠くに見える、向かってくる白い車。





夢か幻か、なぜか確かめたくなって、意を決してまぶたを開けた。
ら、やっぱり環七を、バスは走ってた。
がっかりしたけど、続きは、眠って見る夢のなかで、と思った。


言葉にできぬことが、心のなかでも、現実でも、さまざまに起こってる。


時を経なければわからぬことが、世の中にはたくさんある、ということ。
心が揺れる、ってことは、どういうことなのか。
慈しむって、どういうことなのか。
人の心は、どれほど脆くて、どれほど頑強で、どれほど美しいものなのか。


「峠」の続きも、「蜃気楼」の続きも、あたしに近づいてる、気がする。


海のように、宇宙のように、心で測れぬほど広い、愛、ってモノは、
あらゆる角度から、あらゆる人から、あらゆる時を見計らって、襲ってくる。


戦いは、本来、勝敗を決めるものではなく、
どうしようもない気持ちの果ての結果であるべきなのだ。
つまり、戦うこと自体が結果だから、勝敗など、どうでもいいのだ。


負ける、とは、あたしにとっては、自分の想いに嘘をつく、それだけだから。


あの、乾いた赤土の大地。
夢で眺めたい。
バベルの塔を夢で見た時も、大地は、乾いた赤土だったな。
イスラム圏に、旅したいな、と、ちょっと、いや、かなり前から、強く思ってる。