蜃気楼
路線バスで仕事場に向かってた時、運転手さんのすぐ後ろの高い席に座ってた。
昼間、アスファルトから蜃気楼はのぼらなかったけど、とても暑かった。
ぼぉーっと幹線道路の隣りを走る車を見てたら、ふいにもうろうとした。
ゆらゆらバスが走ってるのはわかってたけど、
夢なのか蜃気楼なのかわからないけど、現実とリンクする風景を見た。
見た、というか、見えてしまった。
目が閉じてたままで。
環七を走ってた時だった。
六車線の太い道路をバスが進んでた。
*
目を閉じて見えた風景は、黄色の大地の上だった。
乾いた赤土。
二車線ほどの幅の道路のような場所を、バスは進んでて、
時折、どすん、と石か岩につまずくようにバウンドしてた。
道の脇には、背の高さほどの緑が連なってて、砂漠の街、みたいな気がした。
夢か蜃気楼かわからぬその映像のなかで、あたしはきちんとバスに乗ってて、
向かう目的地を気持ちでは、目指してた。
けど、どこにこの道は続いてるんだろう、って、思ってた。
視線を先に飛ばしたら、真っ白の車が一台、こっちに向かって進んでた。
土ぼこりをあげながら。
乾いた赤土とこんもりした緑。
進むバスと、遠くに見える、向かってくる白い車。
*
夢か幻か、なぜか確かめたくなって、意を決してまぶたを開けた。
ら、やっぱり環七を、バスは走ってた。
がっかりしたけど、続きは、眠って見る夢のなかで、と思った。
言葉にできぬことが、心のなかでも、現実でも、さまざまに起こってる。
時を経なければわからぬことが、世の中にはたくさんある、ということ。
心が揺れる、ってことは、どういうことなのか。
慈しむって、どういうことなのか。
人の心は、どれほど脆くて、どれほど頑強で、どれほど美しいものなのか。
「峠」の続きも、「蜃気楼」の続きも、あたしに近づいてる、気がする。
海のように、宇宙のように、心で測れぬほど広い、愛、ってモノは、
あらゆる角度から、あらゆる人から、あらゆる時を見計らって、襲ってくる。
戦いは、本来、勝敗を決めるものではなく、
どうしようもない気持ちの果ての結果であるべきなのだ。
つまり、戦うこと自体が結果だから、勝敗など、どうでもいいのだ。
負ける、とは、あたしにとっては、自分の想いに嘘をつく、それだけだから。
あの、乾いた赤土の大地。
夢で眺めたい。
バベルの塔を夢で見た時も、大地は、乾いた赤土だったな。
イスラム圏に、旅したいな、と、ちょっと、いや、かなり前から、強く思ってる。