お話をひとつ。





ひとりの男が、険しい山々を越えながら、旅をしてました。
山は幾重にも続き、やっと登り終えた、その峰から見える景色には、
いつも、連なる山脈がありました。


それでも、男は山に挑み、山頂に辿り着いては、山を下り、
そして、また山に登り続けました。


ある夕暮れ、疲れきった男が川のほとりで暖をとっていると、遠く灯りが見えました。


旅をはじめて、初めての見る、家の暖かな灯でした。


その灯りを見てから、男の目標は、その家に辿り着くことに、変わりました。


さらに幾重もの山々を登り下り、幾筋もの川や、谷間も越えて進みました。
夕暮れになると、男は火を起こして、遠くの家の灯りを見るのが楽しみになりました。


それからどれほどの山を越えたかわからぬほど、登り下り、
それでも、いっこうに遠くに見える灯りともる家には辿り着けません。


男はちょっと諦めかけていました。


 幻想だ、幻が見えるほどに、俺は疲れてるんだ。


そう自分に言い聞かせて、しばらく穏やかな川縁に暮らす決心をしました。
魚を捕り、木の実を食べ、眠る木陰まわりを散歩するのが日課になりつつあったある日。


森のなかから、見知らぬ男が、男に向かって歩いてきました。
自分と同じように、幾つもの山を越えなければ、ここには来られないことを、
男は誰よりもわかっていました。


 すこし休んでいくかい?
 俺も、君と同じように山々を越えて、ここに来たんだ。


男は魚を焼くための火を起こしながら、見知らぬ男にそう話しかけました。


 ああ、有難い。
 あなたの旅の話も聞きたいし、すこしだけ、世話になるよ。


見知らぬ男は、男にそう答えて、火に当たりながら、火のそばに座りました。


男と、見知らぬ男は、
なぜ連なる山に挑んだか、挫折しそうな心をどうやって支えてきたか、を、
昼夜を越えて、語り合いました。


ふたりが驚いたのは、山に登る理由など、なかった、という共通点でした。
ただ、登りたかった、それがふたりの同じ想いだったのです。


そして、もうひとつ。
途中から、遠く家の灯りが見えて、その家に向かって歩いてきた、
この、男が幻だと思い至った目標すら、同じだったのです。


ふたりは一週間ほど、時を忘れて語り合い、
まるで、その川べりまで一緒に歩いてきたかのような心持ちになっていました。


 俺はここで山を越えてきた人を迎え続けようと思うんだ、それがいい気がする。


見知らぬ男は、男にこう答えました。


 そうしたいのかい?


 ...。


 僕たちが見た家は、きっと、あるよ。
 ねぇ、僕と、一緒に旅をしない?


日暮れを迎えた時間。
ふたりは旅支度を整え、足早に山の頂きに登りました。


いつも眺めていた方向を仰ぎ見ると、そこには、あの家の灯りが見えて、
こころなしか、今までよりも、大きく灯りが輝いていました。





こんな気持ちです。
今。
シチュエーションも、経験も、なにもかも異なってるけど、
ふたりが歩いてきた道、見た景色、それが、なんか今のあたしの気持ちです。


家に辿り着けたのかどうか。


その先は、もうしばらくしたら、書けるような気がします。


うまく言えないけれど、
映像が浮かんだ夜だったのでした。