日記

二週間ほどまえから、めまぐるしく、いろんな出来事が起こってる。
世の中もそうだけれど、特に、あたしに。
と、自分なので、そう思ったりするかもしれないけど。





まず、世の中に起こってることについて、ちょっとだけ。


日本は、第二次世界大戦で、負けた。
その代償は、充分に払った。
プライドも、お金も、そして、国民の暮らしさえも、引き換えに、払い続けてきた。


そして、日本は、植民地では、ない。
国外の基地は、ひとつも、もう要らない。
そんなことは、ほんとは、みんながわかってる。
アメリカ、という暴力団に、もう、ほんとうの心持ちを話すべき時が来た、のだと思う。


沖縄の県知事をはじめ、意思を通されている諸君の方々が、
膝を交えて、アメリカに、国の代表として行ってしまってもいいのでは、とさえ思う。


根回しをして、これまでの架空の権威で、
アジアの国々を、味方につけてうまくいく時期は、もうとっくに終わってる、と思う。


戦争、を、商売にするのは、もう、やめてほしい。


ここまでにする。
世の中のこと。
もっと書くと、悲しくなってくるから。。。





ブログなので、胸を張って、さて、あたしのことだけれど(笑。


2週間+2日まえから、誰かがスイッチを押したの?くらいに、
それまでとは、まったく違う風が吹いてる。


想いは、届くんだな、って、ちくちく痛いほどに感じる。


母の日に帰郷したときも、風の流れが変わってるのに気付いた。
そうか、だから、2週間+2日まえ、じゃない、20日ほどまえから、変わってる。


あたしは弟がふたりいて、彼らはもう結婚してて子供もいる。
未婚で子供もいないあたしは、母の一番の心配の種で、
電話で話すたび、あたしの幸せを願う母の気持ちが痛いほど伝わるし、
その幸せが、母にとっては、唯一、結婚だ、というのがわかってて。


帰郷するたびに、そんな母の気持ちを感じるのが辛くて、
ここ数年、生まれ育った故郷に帰っても、心休まったりはしてなかった。


けど、今回の帰郷の際、前述のことは感じながらも、
やっぱり、大好きな家族に、実際に会う、ってことは、とても素晴らしい、って思えた。
母も、弟ふたりも、素晴らしい女性でもある弟の嫁さんも、甥っ子、姪っ子たちも、
ばあちゃんも、あたしが元気でいることを、心から喜んでくれてた。


帰る場所が、あたしにはあるんだ、と思えたし、
なにより、とてつもなく家族の暖かさを感じられて、魂の底から喜べた。


天に昇った父の十三回忌が来月にあるのだけれど、
いろいろあるけど、やっぱり今から帰郷が楽しみになってる。
おじさんやおばさんにも、みんなに会えるのだから。


そんな、今更ながら家族の素晴らしさを感じて帰京して、
すぐ、その頃から今まで、怒濤のように、様々な出来事が起こってる。


すべて、嬉しいことばかり。


なにか、あとで、あたし罰が当たるのではないか、と思うほどに、
有難くて、素晴らしい人たちと、あたしは関われているんだ、と思う。


信じて、続けてきたこと、これからも信じ続けていいんだって思えた。





あたしは男の友達が多い。
弟ふたりの兄弟とともに育ったせいかもしれないけれど。
もちろん大切な女友達も数人いてくれるけれど、たぶん多くはない。
そもそも、徒党を組んだり、趣味や意見が合うことを喜べないたちだから、
かもしれない。


うまく言葉にできないけれど、
魂の底の部分、たぶん一番大切にしてる部分が同じであれば、
趣味や意見など、違っていた方がおもしろい、とさえ、あたしは思う。


たとえば、あたしがあまり観ない映画や、聴かない音楽を好きな友達がいたとして、
どうしてそれが好きなのか、あたしは必ずたずねる。
ケンカ売ってるの?と言われても、めげずに、
どうしてか知りたいのだ、と言って、聞く。


好きなトコロ、好きな理由、好きな場面、好きな音、その人の想いを聞いていると、
その人がそれを好きな分、思い切り、理解できる。
そして、その想いに、同意できる。
対象を好きにならなくても。


同時に、あたしの知らぬ世界を垣間見ることができて、魂が興奮する。
嬉しくなる。


そんな会話ができるのが、男性の方が多いから、男の友達の方が多いのかもしれない。


数少ない女友達とも、趣味が合うことは、まれ。
だけど、長く友達でいられる数少ない女友達とは、同じだ、と喜ぶよりも、
もっとエキサイティングな、異なることを楽しむ喜びを共有できてる。
前述のような、ことだ。





人は、みんな、あたりまえだけど違ってて、
その違いを理解することから、ナニカが始まるのだと思う。


育った環境の違い、話す言葉の違い、生まれた国の違い、趣味の違い、意見の相違。
違っててあたりまえ、だって、みんな違う人なんだもの。
その、違いを理解することが、とても大切なんじゃないか、と思う。





あたしに起こったいろんな素晴らしい出来事は、
そう思うことを、肯定してくれたように思えることだった、少なくともあたしには。


世の中に起こる、パブリックメディアで”問題”などと言い放たれてる多くの出来事も、
異なることを認める勇気を必要とする、ように思える。


保身など、なんの意味もない。
批判を恐れずに言ってしまえば、マイナスで、格好悪いこと、でしかない、と思う。


真っ直ぐに生きることはとても難しいけれど、
それでも、今までよりも、ほんのちょっとでも真っ直ぐに進みはじめると、
それが、どれほど素晴らしい道を拓いてくれるのか、わかってくる。


自分を守る、のではなく、
自分に嘘をつかない、ことが、
魂が望む未来を手に入れる、ただひとつの方法じゃないか、と、強く思う。