流転

ふと気付いたら、四月は、ここに一本しか書いてなかった。
驚いた、自分で。


心のなかが変化する時っていうのは、
具体的にものことが動く時よりも、とても心も頭も騒がしくなることは知ってたけど、
こんなに気付かぬうちに時間が過ぎるなんて、ひさしぶりだ。


あたしは、人に会って話を聞いたり、時には簡単に話せぬような深い話も聞いたりして、
それを伝えることを主な仕事としていて。


ゆえに、かどうかわからないけれど、
休みの日とか、人に会わぬ日の黙々と仕事する日とかは、ほとんどじいっと過ごしてる。


反芻(はんすう)、咀嚼(そしゃく)の時間を大切にしている、という理由と、
お会いした方がどんなに素晴らしい人でも、
散らばった自分の想いをニュートラルに戻す時間が必要、という理由から。


四月、いつもよりたくさんの方にお会いしたわけでもないし、
たくさんの友達と会ったわけでもないけれど、
たぶん、反芻、咀嚼、ニュートラル変換が、いつもより多く必要だったのだと思う。


 意志を持って、流れに乗る。


これを、あたしは、ずっとまえからしたいと思ってきた。
頭でも、心でも、わかってるつもりだったけど、
だからといって、すぐに実践できるものでもない。


四月の変化は、そうできるようになったわけじゃないけど、
心とか頭とかと違う、もっと奥の方の、あたしのどこかでわかったような気がする、
そんな変化だったと思う。


 流されることが、怖くなくなった。


ようにも、思える。
意思が持てるようになれたから、かもしれない。


生きてることは、やっぱり素晴らしい。


つまずいて、けど立ち上がって、もうだめって思って、けど諦めないで進んで、
ちょっと見えてきて、また霞んで、ちょっと見えた風景を反芻しながら、歩いて、
それ忘れちゃってまた失敗して、けどあきらめないで、つまずいて。。。


知らないうちに変化してる自分、に気付ける時が、ふと訪れる。
またつまずいて、大切なこと忘れちゃってるかもしれないけれど、
そしたら、また立ち上がって、あきらめないで、歩き続ければいいんだ、と思う。