re : 愛のこと、徒然に。

たとえば、好きになった人の気持ちを確かめる、その目的のためだけに、
自分の気持ちとは裏腹な言動を起こしたとしたら。
それは、どう転んでも、結果的には、
自分にも、その好きになった人にも、いい結果にはならない、と思う。


会いたいなぁ、と想っている人が居て、その人が通る道を知ってて、
一目でも、という気持ちで、その道すがら姿を見つめる、それは純粋な気持ちだけ。
なにかを仕掛けてる訳じゃない。


こう言ったら、どう言うだろうか。
こう動いたら、どう動くだろうか。
そういうことやってると、自分の気持ちが壊れてしまうような気がする。


愛は、そんな簡単なモノじゃないし、浅いモノじゃない。
と想うのです。


想われたい、って気持ち、あると思う。
だけど、それは、絶対的に、目的にしてはいけない、気がするのだ。


想っている。
好き。
愛している。


それのみが真実、なのだと思うのです。


その先のことをシミュレーションして、その気持ちを継続させるかどうか決める、
なんてのは、冒涜(ぼうとく)というか、邪推(じゃすい)というか、
独断で言い切ってしまえば、意味がない。
あたしにとっては、ですが。


 自分の気持ちに忠実になる、そのことのみが、真実に繋がる。


のだと思うのです。


 愛は真実だから。


数学的に考えれば、愛を得たいのならば、自分の気持ちに忠実であるべきだと思う。
方程式を解いてる訳じゃないけど、あたしの若輩な経験からして、
それは、少なくとも言えることだと思うのです。


時を経て、すとんと合点がゆくものがあります。
言葉を投げかけて、すぐにボールが返ってくる時も、あります。
ちょっとして、こうだよ、と言ってもらえることもあり。


人は、みんな、違うのだから、
自分の感情の波動のままに動いてはもらえないことの方が、多いのです。
そんなことを思えば、ままならぬことが多いのも、合点がゆきます。


確実なのは、自分の想い。


それを信じて、育んで、大切にしてゆくことが、大事だ、と思うのです。


愛は。
不可解です。
涙を流させたり、笑みをこぼれさせたり、命を救ったり奪ったり、国も救ったりします。


でき得るならば。
あたしたちが住む地球という美しい星の上に一緒に住む、何十億という家族みんなが、
愛を原点に、国境や財産や所有欲ではなく、家族みんなの幸せをを想っていることを、
心から祈ります。


 真実は、おのずから現れる。


あたしは無宗教だけれど、そう思います。
愛とは、真実、そのものではないか、と。