大銀杏




鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れる、というニュースを、昨日耳にした。
去年の晩秋、初めて鶴岡八幡宮を訪れ、さらに、初めて、この大銀杏に対面した。


大銀杏は、wikiでひくと、
「樹齢800年とも1000年余ともいわれていた。
 建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮別当を務めていた公暁が、
 この銀杏の木に隠れて待ち伏せ源実朝を殺害したという伝説がある…」と、ある。


詳しい歴史を知らなかったあたしは、初めてその大銀杏の前に立ったとき、
じんわりと、その大樹が話す言葉を心で受け止めようとして、じいっと、立って見上げた。





神木であり、高く大きく、たわわに黄金のイチョウの葉を実らせたその姿は、
威厳があり、とても堂々として見えた。


大銀杏は、人のように思えた。
仙人というか。
なにか強く優しい想いを持ち続け、おおらかに、歴史と行き交う人を見守り続けてる、
気がした。


生きてるから、寿命があるからねぇ、と、
ニュースの中で、鶴岡八幡宮に通う近所の方が言われてた。


姿は見えずとも、大銀杏を見上げたことのある人は、心にあの大銀杏を持ってる。
想い出、っていうのは、決して盗まれない心の財産だから。


そして、大銀杏という仙人は、姿を変えて、どこかで生き続けてる、気がする。
たぶん、想い出が、姿を変えて、いつまでも生き続けていくみたいに。