愛のこと、徒然に。




hatenaに来るまで書いてたodnマイページで長いことあたしのページの扉にしてた写真。
自分で撮った写真ながら、愛してる写真のひとつ。
撮影したのは、確か四年まえの冬でした。


愛のこと、徒然に。


一瞬でわかる愛も、あります。
けど、往々にして愛とは、時間が教えてくれるもの、だと思う。


自分の心を疑って、攻撃して、自答して、時を経ても心が変わらぬ想いを持ってたなら、
その想いは、愛、だと思う。


じいちゃんやばあちゃん、父、母、家族への愛と、
地球や、生まれた国、暮らしてる街、暮らしたことのある街への愛と、
友達への愛と、
愛しい人たちへの愛と、は、
それぞれ違うものだと、今までは想ってた。


最近、そうじゃない、って思う。
愛は、もっと心が広い、って。
懐が広い、って思うのだ。


例えるならば、広がる草原。
自分の近くの草原と、ちょっと向こうの草原と、ずっと遠くの草原は、
やっぱり、みんな同じ草原。


海もそう。
波打ち際の海も、泳いで行ける場所の海も、遠くの島近くの海も、異国に波打つ海も、
やっぱり、みんな海。


区別できぬモノを区別しようとするから、歪みが生まれるのかもしれない、と思う。


世の中、細かいことばかり採りだたされて、
重箱の隅をつつくような議論ばかりあふれてるから、
ついついカテゴリー分けとか、種類分けとかできるのが正義みたいに思われてるけど、
そもそも、そんな仕分け、意味ないのだ、と思う。
書類を整頓してるわけじゃないのだから。


心や、心が籠められた作品は、唯一のモノであり、みな、それだけで意味を持つ。
カテゴリーなど、後付けだから。


あなただけを愛してる、という人、若い頃は素敵だと思えた。


だけど今は、愛するものが、ひとつしかないの?と思える。
天の邪鬼かもしれない。


あたしは、生き甲斐ある人生を生きてる男性が好き。
自分を信じて、わがままに貪欲に、自分の道を貫こうとする男性が好き。
あたしは、その次が、いい。


だから、かもしれないけど。


11日のブログにも書いたけど、ぴたっとくるものに出会えると、至極嬉しい。
それに出会うと、迷ったり、しないと思う。
それが愛かどうか、わかるのに、
一瞬か、ちょっとしてからか、ものすごく時間がいるか、だけの違いなんだ。


自分を信じて、自分を愛することができたら、きっとホンモノの愛に出会える。
苦しかったり、楽しかったり、辛かったり、幸せだったり、色々あるけれど、
ホンモノの愛は、裏切らないから。