弾く

もう変わってたんですね。。。
慣れないことするもんだから、あかんなぁ、と思いましたが。
あらためまして。
今週のお題、挑戦します(恥・笑。




やってみたい習いごと。
ピアノ、です。


あたしは四歳からオルガンを習ってて、今もハモンドが部屋にあるのですが、
ピアノは弾けないのです。
鍵盤はわかってるので、楽譜の音符を、ピアノという楽器で再現するのは可能なのですが、
けど、それは、弾ける、ということとは違う気がするのです。


あたしの私見だけど、オルガンは鍵盤楽器、ピアノは打楽器、だと思ってて。


ピアノの、あの美しい音を、人の指という世にも不思議な道具で、
魔法のような強弱と、ぬくもりを出せなければ、弾ける、にはならないんじゃないかなぁ、
なんて、想うのです。


グレン・グールドがとても好きです。
彼の音を聴くと。


 もうなにもいらない。


と、思えます。


過日、小中学生の頃、オルガンが弾けるんだからピアノだって大丈夫だろう、と、
よくピアノ伴奏を先生方に頼まれたりして、節目の式にも引っ張り出されたりした。


式場でピアノを弾かされる時は、いつも、他の生徒が講堂のパイプ椅子に座ってるのに、
伴奏するあたしだけ特別に、舞台脇のスペースに先生数人といて、
式の進行やその日の天気のことなんかを、大人みたいに先生方と話してた。


そんな時間は、当時、小中学生のあたしにとって、とてもリラックスできる時間で。
なぜかというと、四歳からオルガンをやってることで、
毎週レッスンに行く大きな街や、コンサート会場やコンクール会場、試験会場では、
いつも、式の舞台脇みたいに、両親よりもずっと上の大人たちのなかで過ごしてたから。


だから、ピアノを弾くという、ものすごいプレッシャーは置いといて、
弾くまでの待ち時間は、とても心地よいものだった。


そして、ピアノ演奏。


 ああ、やっぱり、あたしのピアノは、ピアノの音じゃない。


と、がっかりして舞台脇に戻ると、先生方は、みな、すごいすごい、と迎えてくれた。
その歓迎ぶりが、一層、あたしを落ち込ませたものだ。


グレン・グールドは、バッハを弾かせたら世界一、と言われてる。
むろん、彼のバッハも素晴らしいのだけれど、ベートーベンのソナタも絶品。


今年こそ、来月こそ、生ピアノが置いてる場所を探して練習場にするんだ!
と思いつつ、もうなん年も過ぎてしまった。


ちなみに、グレン・グールドは、オルガン演奏のレコードも残してる。
とても巧いのだけれど、ピアノほど、グッとこない。


オルガンなら、カール・リヒター
小学生の頃、彼の音を聴いて、オルガンを続けようと決めた、なんて思い出もあるほど。


彼のオルガンは、神のため息のよう。
パイプを通って吐き出される音が、強く、ときに優しく、
絶妙な風合いを持って紡ぎ出されてる。


 その楽器の一番美しい音を、聴かせてくれる。


グレン・グールドも、カール・リヒターも、それができる希有な人のひとり。


ピアノ、弾けるようになりたい。