親愛

十月八日は、亡父の誕生日。
十年ほどまえの、父の日に、逝ってしまった。


その日はとても晴れた日だった。
ゴルフ好きの母に、打ちっぱなしにでも行ってこいよ、と送り出したすぐ後、
いつもごろんと横になってテレビを眺めてる、家の居間で、ひとりで逝ってしまった。


幾つかの病気が重なってしまったゆえの最期。
父の人柄どおりの柔らかい笑顔で、眠ってるような顔だった。


その前日、あたしは父と電話で話してる。


東京に上京して、学校を出、こっちで踏ん張りながら働いてるあたしを、
父は誇りだ、と、いつもみんなに言ってくれてた。
一番応援してくれてたのも父だ。


その、最後の電話で、父はこう言ってくれた。


 やりたいことをやればいい。
 やったことの責任をぜんぶ背負うのはおまえだけどな。
 おまえなら、そんなこと、大したことないだろ。
 やれるよ、中途半端なとこで諦めんなよ。
 ずっと応援してるからね。


もう、またそんなこと言ってるよ、とか思いつつ、
わかってる、ありがと、と、心を全開にできぬまま、電話を終えてた。
その翌日。
父が逝っちゃった。


十月八日、仕事場で、おやつだよ、と、みなにケーキを振る舞った。
誰にも言わないけど、父の誕生日だから。


人に優しく接すると、
偽善者とか言われたり、妙に警戒されたり、気があるんじゃないかと思われたり、する。


だけど、誰がなんと思おうと、どう噂されようと、どんな誤解をされようと、
あたしはできる限り、優しい言動を心掛けたい。
それが、最期にならないとは誰も言えないから。


父との最後の電話で果たせなかった、優しさは、隠してる場合じゃないから。
きっと天から父が聞いててくれてると思うから。