真実

真実は、自ずから現れる。
意志を持たないのは、生きてないのと同じだ。
大切なコトをわかってて、しかもその想いに基づいて行動している人は、確かにいる。


迎合できることが大人になることだ、と諦めた口調で聞かされてた若い頃。
協調性とは、迎合ではない、と今はわかる。
意志を持ちつつ、人の話を聞ける、それが協調性だ。


大震災、福島原発事故、その甚大な余波についていろいろ調べていくうちに、
あるとても大切なことがわかった。


国家を揺るがす決断も、今晩のおかずを決める決断も、同じだということ。
その根本には、対象となる人の心を想い遣る気持ちがある。


今の日本の中枢にいる多くの人が忘れてしまっているのが、人を想い遣る気持ちなのだ。


菅直人という人は、首相になる器ではなかったのだ。
清水社長はただ書かれた脚本を忠実に喋ってるだけのでくの坊だ。
東電の会長も、同様に、馬鹿だ。
馬と鹿に失礼なほど、バカだ。


福島原発の所長さんをみんなご存知だろうか。
現場で、今目の前にある問題を、東電の極最上部を敵に回しながら、淡々と解決しつつ、
たった今も、次に打つべき手を原発の刻一刻と変化する状況をふまえて考えられてる。


保身って、なんだろう。
宛てがわれた肩書きと、その肩書きに対して払われるただのツールである金を守る、
それが保身なのか。


下らないし、美しくない。
汚いし、いらない。


どんなに複雑に入り組んだ汚いものがまかり通っているとしても、
真実は、自ずから現れる。


現場は、常に清潔なのだ。
そして、意思が確かに存在し、潔癖で、崇高で、そして、美しい。


津波から人々を助けた警察官が、五十人以上死亡または行方不明となってる。
宮城のある避難所で生活されてる方が、ある警官に助けられたときのことを話してた。


その警官は、寸前まで波が近づいてるその間際で、人々を高台に誘導し、
みながすべて高みに登れたことを確認した直後、後ろから襲って来た波に呑まれた。
助けられたと話してたその人は、波に呑まれるその瞬間、その警官と目が合ったそうだ。
その目は、死を覚悟した気迫に満ちた優しいまなざしだったそう。


崇高な魂は、姿を亡くしたあとも、人々を導き、見守り、美しい光で照らし続ける。


福島原発で働く人の中には、引退していた人もいる。
かつて原発で働いてた、その責任がある、と言って、
毎日作業をするために福島原発に通う人も少なくないのだ。


機関従業員として原発で働いていて、そのまま、自分の意志で残った若者も少なくない。
そのなかには、ギャラなど換算されない立場の人も多いそうだ。


放っておけない。
自分たちがなんとかするのだ。
そう、所長さんをはじめ作業されるみなが思いとどまり、
金も利権も保身も関係のない崇高な世界で、命を張って、日本を救っている。


素晴らしい人もいるのだ、確かに。


こんなこと書いてどうなるというものじゃない、かもしれない。
伝わらないかもしれない。
だけど、今こそ、世の中に存在する、汚い世界は払拭されなきゃいけないんだ。


美しく生きてる人が、虐げられてるのは、やりきれない。
そんな人達は、汚い世界などもろともせずに、真っ直ぐの眼差しで進めるのだけれど。


こんな苦労して、調査して、さまざまな人の声を聞かなければ、
真髄に辿り着けないなんて、おかしい。


吐露することも、あたしにできることのひとつだ、と信じて。


もう夜は明けかかってる。
まだ夜だ、と暗く淀んだ表情で話す人の声には耳を貸さないで。


美しく生きよう。
それがまわりも必ず美しくする。