畏敬

三月末で〆の仕事の値段交渉を、代理店の営業と電話でした。
あの日から、嘘や言い訳が、すぐわかるようになった。
神経が過敏になったのか、心の鍵を捨てたからか、なぜかはわからないけれど。


そんな哀しい話し合いの電話を早々に切りたくて、
作業に反比例する、その営業の言い値を了解した。
人として正面切って生きてない人と関わるのは御免、時間の無駄だから。


今週は提出がふたつある。
土日にかなり進めたので作業はさほど残ってなかったけれど、
いきなり不意に、事務所で使ってる Mac mini がエンストを起こした。


OS-X になってから初めての深刻なトラブルだ。
せめて現場作業だけは、さくさくやりたい、
けど、乗り越えるべき試練なんだな、きっと。


明日からしばらくは、今これを打ってる、Black Book がメインディスクになる。
リュック持参で Book と行動を共にする。
仕事提出したら、Mac mini にシステムを新規インストールして、
健康体に戻してあげよう。


変な話だけれど、Mac がトラブって、平常心を完璧に取り戻せた気がした。


この Mac mini のエンストは、
もしかしたら、あたしをそうするために起きたのかも、とも思った。


もうすぐ、あの日からひと月が経つ。
あたしは心に決めたことがある。
人として、剥がせぬほどに心に刻み込んだことがある。


どこにも書かず、誰にも言わぬ、大切なこと。
決して忘れてはいけない、大事なこと。


ベランダの木瓜が、真っ赤な花を咲かせてる。
満開の木蓮がしなるこの頃、桃は咲き、桜のつぼみは日増しに膨らんでる。


数学・物理界に明るい人なら知るだろうか。
十一次元で、世界は目まぐるしい変化を遂げてる最中だ。


花も、無論、自然は、すべてを教えてくれる。
人は、自然に畏敬の念をもっと抱くべきだ。


自然のなかで生きる生き物のひとつに、人間というイキモノがある、と、
ただそれだけのことなのだと悟るべきだ。


しかしながら、あたしたち人は生きている。
生きているのならば、
抱いてくれてる自然に学び、せめて美しく生きたい、と想うばかり。