今年もあとほんとにちょっと。
いつもなら、しんみり一年を振り返る時期なのだけど、
今年のあたしにとっては、お正月は、いつもの週末と変わらぬ土日。。。


年内になんとかお願いします、というオーダーの電話が、今日も幾つも入ってきた。
三が日も終えぬうちの提出とか。
…そんな依頼を受けてしまう、あたしが悪いのかもしれないが。。。


そんなこんなで、締めくくりっぽいこと、なにかしたいな、と思い、
今週のお題「2010年私の漢字一文字」。


一文字、というのが味噌ですね。
いろいろ想い巡らせて選びました。


兆。きざし。


なにかが起こる気配。
なにかを予感すること。


アメリカでリーマンショックが起きて以来、
世界的な大不況と混乱の渦中に、今もって世界中が巻き込まれてる。


あれは、起こるべくして起こった予測できた事故なのだ。
お金という麻薬から手を引くことのできない強欲な、一部の人間によって、
なんの罪もない世界中の人々が被害に遭ってる。


しかも、その強欲の矛先を異なった方向に向けて、今も強欲な心は健在だ。
偽善に対して、命を賭す覚悟で向かう姿勢が、今最も世界的に必要だと思う。


それは、置いといて。
そんななかで、なんの兆[きざし]なのか。


二年ほどまえの大恐慌以来、ずっと思ってることがある。


誰のモノでもない大地を、人間ごときが取り合う不毛な戦いや、
ゲームのおもちゃ紙幣のような仮想貨幣で、国家予算ほどの金額を取引し合ったり、
勢力の強弱を決める手っ取り早い方法に、国民の命を切り売りする戦争や、
何代経ても使い切らぬような莫大な財産にしがみつくばかりの世界的財閥。。。


滑稽なのだ。
小学校に上がるまえの子どもだってわかる。
ましてや、いっぱしの大人に理解できないはずがない。
馬鹿げてて、滑稽で、そして、同じ人として、哀しくなる。


様々なリークが世界的に問題になっているけれど、
あたしは、”問題”とは思わない。
リークされることをしていなければ、いいだけのことだ。
悪事が明るみに出ることが、問題なのだろうか。
拍手すべきことじゃないだろうか。


なにが大切なのか、今の時代ほど、心から理解できる機会も、そうはない気がする。
あたしが思ってることがぜんぶ正しいなんて思ってないけど、
どうしても、良くないことは、あたしにもわかる。
ましてや、国家を動かす立場にある人が、わからぬはずがない。
わからないのではなく、わかってるけど、しない、のだ。


それを越える勇気を持つ、とてつもない良い機会だと、思うのだ。
今の時代は。


兆を思ったのは、時代が変わってゆく、まさにその渦中にいる気がするからだ。


膿んでしまった部分が深く大きい国や人ほど、
治るのには相当の時間を要するだろう。
だけど、放っておくのと、時間がかかっても直そうする、のは、雲泥の差がある。
もう過渡期を迎えてると思う。


そして、あたし自身にとっても、兆。
いや、個人的に多くの人が感じてるような気もするけれど、
ほんとうの自分を選びとる、ような、それができそうな兆しなのだ。


揺さぶられ続けるような日々。
ジェットコースターに乗りっぱなしのような毎日。
そんな日々だからこそ、わかることもある。


具体的に言葉にできないけれど、
ほんとうの自分を選びとる、その勇気だけは、
満々と、あたしのなかに満ちあふれている。


それだけでも、素晴らしい兆、だと、あたしには思えるのだ。