I'm here.

朝、目覚めると、あたしはすぐ窓を開けて空気を嗅ぐのだけれど、
今朝はひとつ深呼吸して、すぐ窓を閉じた。


とても冷える朝。
時間にゆとりのある寒い朝は、その冷え加減も、じっくり感じられる。


東京は、もう雪降らないのかなぁ。
日本列島どこよりも、は、大げさだけど、
九州よりも暖かい熱帯地帯になってしまったみたいだ。


だけど、今日は冷える。
明日はひさしぶりに雨が降るらしい。
気温十度いかない雨。


 ねぇ、雨。
 ひさしぶりに雪に、途中から変わる、ってのはどうだろうか。


未来がわからずとも、進まねばならぬ時がある。
この先に何が待っているのか皆目見当がつかなくても、
どうしようもなく進みたい時がある。


心が強くそれを願うなら、進むべきだ。
望む結果になるかならぬかは置いといて、
進む、そのことだけが目的達成だったと、しばらく行けば、知るのかもしれない。


日々、変化する、という言葉のひとつが、それなのだ。


自分を変える、というのは、
服を変えるとか、仕事を変えるとか、言葉遣いを変えるとかの具体的なことじゃない。


根本的な部分で、心の深い場所を占める物事への考え方の部分で、
変える、という意志もなく、変わってしまえるために、
強く思い願ったことに向かって歩くのだ。
そして、変わったあと、ふと、自分自身で変わったことに、気付く、のだ。


たぶん、そうだと想う。


 だからね、雨。
 東京を冷やしておくれ。
 知らぬまに、雪に変わっていいから。


なのだ(笑。
それは置いといて。


リチャードバックのイリュージョンのなかで、こんなのがある。
この言葉どおりでなく、たしか、こんな感じのこと。


 あなたが誰かに会ったとして、知り合いがなん年もかかって知ることを、
 友達は、出会い頭のその瞬間にわかる。


あたしはなん年も前から、コメントをつけない年賀状を送ってる。
自分の撮った写真に、撮った時とか、送る時に感じてる言葉を電子文字で綴って。
その、たった一枚の葉書でさえ、あたしの変化を感じ取ってくれる友達が幾人も居た。
嬉しい限り。
しかしながら、なにも感じない人も居た。


会えば、その違いは、もっと大きくなるだろう。


いつなん時も、自分の心を信じてれば、変化は知らぬまに、訪れる。