よいお年を




大好きな三浦の海。
山に行くと、包み込まれるような安堵感がある。
海に居ると、なぜか、あたしが自然を包み込んでるような気がしてくる。


もう大晦日
今年も早かった。
と想うのに、一日一日が深く、充実してて、いい年だった。


それは大げさだよ、って思われるかもしれないけど、
あたしは、いつ不意の事故で亡くなってしまっても悔いがないように、
それを毎日思いながら、生きてる。


だから、かどうかは、わからないけど、これまで実にいろんなことがあったけど、
どれひとつ、後悔してない。
ほんとに。


あたしが選んだ選択と、別の選択もあったのかもしれないけれど、
〜たら、〜れば、なんて、思い返しても意味はない。
その時、あの時、あたしは、そう選択した事実があって、それ以外の事実はないのだから。


偶然は、必然。


あたしはそう思う。
偶然そうしてしまった、と思えることも、そうする意味があってのことだ、と思うのだ。
大っ嫌い!が、ふとしたきっかけで、大好き!になる、みたいなもので、
マイナスは、プラスに、いつだってなったりする、のだ。


とはいえ、あたしは聖人ではないから、素晴らしいことばかりしてきたわけでもない。
むろん、あーあ…、って思うこともむちゃくちゃ多々ある。
けど、後悔しない、ってだけなんだ。


こんな結果になるって薄々わかってたのに、なんであんなことしたんだろ。
しょうがないよな、大好きだったんだもの、とかね。


とうとう入院しちゃったよ、程々のところで休んでりゃよかったのに。
しょうがないよね、一生懸命で、体に気を使う暇もなかったんだ、とか。


親孝行できなかったな。
これから、その想いをむっちゃ濃くして、天国まで飛ばすぞ、とかさ。


悔いて、あきらめちゃ、だめなんだ、と思うのだ。


なにかきっと、未来につなげる方法があるはずなんだ、なんに関しても。
そう思うし、なにがなんでも、そう信じたいんだ。
生きるために。
幸せになるために。


混雑する新宿に、仕事と用のために、今日の昼、ちょっと出た。
行きつけの蕎麦屋で、今年の〆に、天せいろを戴いた。


店のなかは、これから帰郷するであろう荷物を傍らにしたお客さんや、
あたしのように、〆に来店した蕎麦好きの面々や、
年の暮れの会合で昼から酒を呑み交わす、羨ましいお客さんなどで、ごった返してた。


 よいお年を。


会計を済ませたお客さんに、お店のほうぼうから、暮れの挨拶が飛ぶ。
なんでもないことかもしれないけれど、いい言葉だなぁ、って思った。


いろいろあるけどね。
みんな。
けど、どうか、よいお年を。


きっと良くなる、って想い続ければ、よい年が巡ってくると思う。
いろいろあるけどね、だけど、世の中捨てたもんじゃないことも、たっぷりあるんだ。
あきらめないで、みんなでがんばろう、って願う。


みんな繋がってるから。
誰かひとりの優しさは、巡り巡って、みんなをぐるぐる巡るから。


どうか、よいお年を。
幸せな年を迎えられますように。