硝煙




Ennio Morricone / Cinema Paradiso


 火の無いところにも煙が立っている
 初めは腹も立った
 だけどもう慣れちゃった
 火があるならいざ知らず
 煙だけじゃ消せないよ


って、清志郎の名曲がある。


あたしはなぜか女性にそんなことをされることが多くて、
この詩のとおりの気持ちになって、慣れて、煙は消せないよな、っていつも思った。


よく天然だと言われるけれど、自分では素直にモノコトを見たいと思ってるだけで。
だけど、なぜか、もくもくと煙が立ってしまう。


人の心を変えるため、だとか、
人の心を操るため、だとか、
誰かにこう思ってもらうためには、とか、
そんなふうに考えて動くことが、あたしにはできない。


できない、というまえに、
そんなことが可能だと信じて自分の言動を制限することが、わからない。


ほんとうの気持ちや、ほんとうの心しか、信じられない。


人を動かすのはホンモノしかない、気がする。


人が生きて、出会ったり、話をしたり、友達になる人の数は、たぶん限られてる。
だって、世界中の人全員に会えるはずは無いのだから。


だけど。
人と人に流れる、暖かい、目に見えない、美しい波のような筋は、
出会った人の数に比例する訳じゃないと思う。


ひとつひとつの出会いや、ひとつひとつの一期一会を、宝物にできるなら、
きっと、その人は、その人の心は、いつも暖かく明るいんだと思う。


いついかなるときも、あたしは、目の前に、長く続く道が見える。


ときには工事中で寸断されるときもあるけれど、
休んだり、歩いたり、時に走ったりしながら、
自分の歩幅で進み続けてゆけば、その道自体を愛おしく思える気がする。


その道自体、人生を、生きてること自体を、愛おしく、今は思える。


そんな歩みをしながら、人の心の色を変えるための画策など、できるはずない。


苦難を耐えることと、
苦難を楽しんで乗り越えるのは、かなり違う。


消せない煙をまた感じても、
笑いながら、ひたすらに、自分の歩みを進めていこう、って思う。